日本で初めて機械によって紙が漉かれたのは、1874年(明治7年)のことです。1872(明治5年)年2月東京・日本橋蠣殻町で創業した「有恒社」は、イギリスの抄紙機(しょうしき 紙を漉く機械)と製造技術を導入し、1874年(明治7年)7月より洋紙製造を開始しました。有恒社はその後、王子製紙亀有工場となり第二次世界大戦末まで操業を続けました。
 洋紙の始まりと同じ1874年(明治7年)、紙幣寮(大蔵省紙幣寮 現在の国立印刷局)が有恒社の抄紙機を借りて雁皮紙を漉いたのが機械漉き和紙の始まりです。ちなみに日本の紙幣は現在でも「みつまた」を原料としており、洋紙ではなく和紙に分類できる紙を使っています。くしくも日本における洋紙と機械漉き和紙は同い年ということになります。

 明治14年には富士地区の有識者が余剰三椏処分のため王子製紙に委託して壁紙をつくったとの記録があるということです。その後1906(明治39)年、土佐(高知県)、芸防(広島県・山口県)でも本格的に機械漉き和紙の生産が行われるようになり、洋紙とは違う和紙原料のもつ特性にあった技術(例えばネリと呼ばれる粘剤を用いるなど)も開発されるようになって来ました。

 第二次世界大戦が始まると、日本軍は「風船爆弾」と呼ばれる突飛な武器を開発しアメリカ本土に向けて発射しました(しかし、ほとんどアメリカを脅かす効果はなかったらしい)。この材料が機械漉き和紙、楮(コウゾ)紙で、大量に必要となりました。直径10mほどもある大きな風船を作るためには、強度・厚さなど規格がそろった製品を製造する必要があり、陸軍技術研究所などが協力し、小田原製紙、日本紙業(現日本大昭和板紙株式会社)、巴川製紙、三菱製紙、高知製紙などで製造されたとのことです。

 戦後、1951年(昭和26年)に佐野久蔵が短網抄紙機を開発します。短網抄紙機は網の長さが当時の物品税の対象外となる20フィート以下だったとのことです。これを発展させて1957年に懸垂式短網抄紙機が開発され、手漉き和紙を作る時と同じように前後左右に揺さぶり、紙の繊維どうしをからませて漉くことが出来るようになりました。

 ネリ(粘剤)は、手漉きの場合はトロロアオイが主に使われますが、攪拌に弱く、夏季は効果がすぐに薄れ製造が難しいという欠点があます(手漉き和紙は冬場に作られていた)。昭和30年代に、それに替わる粘剤として、「ポリアクリル酸ソーダ」「重合燐酸塩」などを使う技術が開発され、現在では「ポリエチレンオキシド」と「ポリアクリルアミド」が使われています。粘剤の改良により、懸垂式短網抄紙機の横揺すり機能の必要がなくなりましたが、扱い易さと低価格のために現在でも小規模製紙所で愛用されています。
 これら技術の向上により、手漉きと見まがうほどの機械漉き和紙も多数あるとのことです。

参考:
「機械漉き和紙への技術革新」http://sts.kahaku.go.jp/tokutei/pdfs/B3_inaba.pdf
「西崎紙販売「100年の物語」」http://kamihan.weblogs.jp/100project/2007/12/1872-f580.html
「和紙の博物館」http://hm2.aitai.ne.jp/~row/
「株式会社 ユニカ」http://www.e-unica.co.jp/
「国立印刷局」http://www.npb.go.jp/index.html