油煙101ならいいのか!?
「鉄斎翁書画宝墨」油煙101 |
オークションなどで、価格が跳ね上がるのが同じ鉄斎でも頭に「五石漆煙」と入っているものです。これが文革期に「油煙101」に変更されたことは、唐墨の知識のある方ならご存じだと思います。
文革期の中国では、「破四旧」という運動がおこります。四旧とは、旧思想・旧文化・旧風俗・旧習慣のことで、伝統文化の世界では大きな影響を受けることになりました。書画の世界などはその影響をもろに受け、筆にしても墨にしても古くからある老舗が解体され、公営化されたのです。
墨の製造業としては、曹素功、汪近聖、汪節庵、胡開文は清代製墨の「四大家」と呼ばれましたが、清末から中華人民共和国時代にのころには曹素功と胡開文が二大製墨業として生き残りました。文革期に主にこの二大製墨業の曹素功と胡開文を中心に「上海墨廠」として公営化されることになります。
それとともに「五石漆煙」や「貢煙」などの封建的な雰囲気の名称が「油煙101」や「油煙104」に置き換えられることになりました。
1.曹素功系列の墨の等級
質が悪い墨というと「カーボンブラックが使われている」とよく聞かされてきました。カーボンブラックとは重油のような工業油からとられた煤のことです。本来の墨の原料である松の木を燃やした煤とか菜種油や桐油を燃やした煤を取るのはとても神経を使い、時間もかかる作業だということです。そこで、安くて容易に手に入るカーボンブラックを混ぜて安い墨が大量生産されたそうです。
ところが、日中戦争が始まるとそのカーボンブラックも手に入らなくなり、戦前〜文革期頃までは松が大量にしかも安価に手に入ったため、油煙墨に松煙を混ぜて安物の墨を作っていたそうです。
それに対して、そのような混ぜ物がない純粋な油煙墨は高級品で、特に(いわゆる水墨画などの)絵画の世界では、混ぜ物の入った墨では美しい滲みや墨色が出せないため、純油煙墨が珍重されたようです。
そのような高級墨は中国製の方が断然品質が良く、明治から戦前には鳩居堂などが墨の製造を曹素功や胡開文に委託していたそうです。また、「鉄斎翁書画宝墨」は1912年ころ、文人画家の富岡鉄斎が曹素功堯千氏に特注して作られたものですので、日本の画家たちも純粋な油煙墨の高級品を中国に求めていたことがうかがえます。
曹素功の高級純油煙墨には、製法の違いによって「五石漆煙」「超貢漆煙」「超貢煙」「貢煙」「頂煙」の5種類に分類されています。それが文革期には、「五石漆煙」→「油煙101」、「超貢漆煙」と「超貢煙」→「油煙102」、「貢煙」→「油煙103」、「頂煙」→「油煙104」に変えさせられました。
徽州曹素功藝粟斎のウェブページによると、それぞれの製法上に違いは以下の通りです。
・油煙101(五石漆煙)
純油煙で桐油に生漆を混ぜたものを焼成した「漆烟」で、それにじゃ香、金箔(1斤に8枚)、その他の漢方薬を配合している。(「鉄斎翁書画宝墨」「大好山水」など)
・油煙102(超貢漆煙、超貢煙)
純油煙でじゃ香や漢方薬が使われているが、101に比べれば配合される分量は少ない。(「超貢漆煙」は「百壽圖」など、「超貢煙」は「萬壽無彊」「指揮如意」など)
「超貢漆煙」は生漆が入っているということだと思います。
・油煙103(貢煙)
油煙に「回収煙」が混入されていて、これにじゃ香や各種漢方薬が使用されている。(「天保九如」など)
・油煙104(頂煙)
油煙に「回収煙」が配合される割合が増え、じゃ香や漢方薬が使われる分量が少ない。(「紫玉光」「金殿香」など)
注意が必要なのは「回収煙」ということば。一見すると「リサイクルされた煤」のように受け取れますが、そういうことではなく、煤を採取するときの陶器の蓋にくっつかずに舞い上がってしまった煤を回収したものという意味だそうです。
煤は細かなものほどきれいな滲みや墨色が出るといわれています。そして、細かな煤は軽いため炎から舞い上がって上に行く性質があります。そもそも「頂煙」ということばは、「舞い上がった炎の頂上の煤」という意味です。なので、回収煙(=烟)が多いほど細かな煤で作られているということにもなります。回収するのにも手間がかかりそうですしね。
「紫玉光」は油煙104 |
2.胡開文系列の墨の等級
文革後の1978年から改革開放政策が行われることとなり、公営化されていた墨廠も民営化されることになり、曹素功や胡開文も昔のブランド名でそれぞれ分かれていきました。
細かな話をすると、曹素功も胡開文も文革以前からいくつかの店に分かれていましたが、文革後に民営化された後も、いくつかの店に分かれました。
ところが、上海墨廠時代にはもともと別ブランドだった墨を一緒に作っていたので、再民営化後には胡開文も曹素功の墨を作り続けるという現象が起こっています。
特に「鉄斎翁書画宝墨」のように海外(特に日本)で人気の銘柄を大量生産して売りまくるようなことをしたために、油煙101の品質を守らない贋物が出回ることになりました。贋物というほどではないにしても、文革期以降の中国製品は品質の低下は否めず、墨に限らず紙も筆も日本製の方が信頼できるという状況が続いています。
特に胡開文系の製品で「鉄斎」の贋物が多く出回ったようです。
胡開文の「虎渓三笑」は正減膠 |
その「歙県徽墨廠」が文革後民営化された中に「屯溪胡開文墨厰(胡開文牌)」「歙県老胡開文墨厰(李廷珪牌)」などがあり、これらのブランドなら間違いないだろうと思います。
胡開文の墨は、原料の違いなどから「超高級漆煙」「桐油煙」「松煙」「全煙」「浄煙」「减膠」「加香」などに分けられるそうです。中でも著名なのは「超高級漆煙」と「桐油煙」とのことですが、これらは曹素功系の「五石漆煙」に比べられるもののように思います。
残念ながら、文革期に「歙県徽墨廠」で「油煙101」などのような等級分けがなされたか、知ることができませんでした。
どうやら歙県徽墨廠系の胡開文と上海墨廠系の胡開文では違いがあるのではないかと思われます。
3.そもそも古ければいいのか!?
日本でも中国でも、ついこの間まで筆で字を書くことは日常のことでした。それがほんの6~70年の間に文字はペンかワープロかパソコンで書くものになってしまいました。
日常の文章や事務用の文章を書くのに、そんなに高級な墨を使う必要はありません。純油煙墨のような高級品は芸術作品である(水墨画などの)絵画のためのものでした。書は芸術ですらなく、黒く書けさえすればよいものだったのだと思います。ですから、カーボンブラックの入った安物は「品質の悪いもの」ではなく「日常品」だったにすぎません。
戦後以降、書道はある意味贅沢品となったようです。書道は趣味としてたしなむもので、日用のものではなくなりました。
なので、墨にも紙にも筆にも良いものを使うことが当然のように語られるようになったと言えると思います。
趣味なのですから、それぞれの懐具合に合わせてご自分の納得いく道具を使えばいいわけです。ある程度良い筆を使うなら、ある程度良い墨を使って、ある程度良い紙を使えばよいのだと思います。
私は、作品を仕上げる時には一般的に良いといわれている程度の道具を使いますが、日常の練習であるお習字の段階では、墨汁も使いますし、墨汁を使うときの筆は固形墨を使用する筆とは分けています。
では、作品を書くときにはどの程度良いものを使えばよいのでしょうか?果たして「古墨」と呼ばれるものは、どれほど良いものなのでしょう。
確かに、文革以前の高級油煙墨はきちんとした原料から作られているのかもしれません。しかし現実問題として、正真正銘文革前の品質の良いものはなかなか出てきませんし、オークションに出てきたとしても、たかが墨一丁に数万円も払わないといけません。その墨を使って書いた作品が数百万円もの価値があるならそれでもよいでしょうが、たかだか趣味のレベルには過剰な投資にも思えます。
まして、100年以上前の古墨などはもはや美術館に行くべきもので、使うものではないでしょう。
私見ではありますが、日本製でも中国製でも信頼のおけるお店で買うなら、新品で売られている道具の方が安心して使えると思っています。生半可な知識で、20年前の墨だから良いものだと思い込んで高値で落札するなどはバカらしいことだと感じています。
墨に関して言えば、たとえばじゃ香などは現在は使用できませんし、墨専用の膠を作る工房が途絶えて久しい状況です。そのような中でも、製墨業者はよい品質のものを作ろうと努力しています。また、世界的にも贋作や虚偽に対しては厳しい判断がされすようになっていますので、自然と良いモノづくりをするところが正しく評価されるようになってきていると感じます。
書を志す者が、実用ではなくなった書の文化を今後どのようにして維持・発展させてゆくのか。書という芸術はどうあるべきなのかを、その活動を通して体現してゆくことが大切なことだと思います。
墨は、作られた年代によって微妙に意匠が違うものですが、「鐵齋翁書畫寶墨」は特にその特徴によって製造年をあれこれ言われる墨です。それほど人気の墨とも言えますが、大体この辺りを見てゆけば年代判断の参考にできるのではないかと思うところをまとめてみました。
鐵齋翁書畫寶墨(鉄斎翁書画宝墨)は、1912年ころ文人画家で儒学者の富岡鉄斎の求めに応じて、上海の曹素功堯千で作られた墨です。富岡鉄斎は世界中に知れる文人画家でした。中国でも著名でファンも多かったといわれます。その大家から特注の墨を注文され、曹素功堯千氏もかなり力を入れて作ったのではないでしょうか。
日本でも人気の中国製墨メーカー「曹素功」は、「鉄斎翁書画宝墨」や「大好山水」などのメーカーです。上海墨廠の名前でも知られている曹素功の歴史を紹介します。
曹素功の創業期から看板商品とされている「紫玉光」は、墨色の第一「紫光」をその商品目に冠しています。清代、康熙帝が直々に賜った賞賛の言葉がその商品名となっているそうです。
民〜清代にとても高品質な墨が作られましたが、清末以降カーボンブラックが使われるようになり、唐墨は品質を著しく下げたといわれます。なぜそのようなことが起こったのでしょうか。
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