曹素功人気の墨「鉄斎翁書画宝墨
 「そうそこう」と読みます。創業者の名前がそのまま店名となっています。本名は「曹聖臣」、字は「昌言」。元名は「孺昌」、もう一つの字は「藎庵」そして号が「素功」です。曹素功は民の末期1615年に安徽省歙県の岩鎮に生まれました。こよなく墨を愛した人物ということです。

1.創業期

 曹素功は、明末に墨づくりで有名だった名工「呉叔大」が閉鎖されることになった時、それをを受け継ぐ形で創業しました。創業当初は店名を「玄栗斎」と言いましたが、康熙帝の時代に「玄」の字を避けて「芸栗斎」に改名しました。呉叔大の製墨法、型などそっくり引き継ぎ、以降代々、外面的な美しさではなく実用的で質の高い製品づくりを心がけました。その結果として、多くの文人から愛され、清に変わった宮中に献上するほどになったということです。
 曹素功、汪近聖、汪節庵、胡開文は「清代四大製墨名家」と呼ばれますが、その中で特に曹素功と胡開文は現代まで続く名店と言えるでしょう。


曹素功人気の墨「紫玉光」

2.三店舗に拡大

 乾隆帝の頃に曹素功は、「曹素功引泉(徽州)」「曹素功徳酬(蘇州)」「曹素功堯千(上海)」の三店舗に分かれます。もともと創業期からの屋号は「芸粟斎」だったようです。その後、アヘン戦争や太平天国の戦乱により、徽州・蘇州は壊滅的な打撃を受け、上海に出店した曹素功堯千だけが生き残りました。
 清国の滅亡や世界大戦をもくぐり抜け存続し続けてきた曹素功ですが、1966年から始まった文化大革命で国の方針に則って企業の合併統合が行われた時、胡開文などを吸収合併し「上海墨廠」に再編されました。ですので、今でも曹素功の製品に「上海墨廠出品」と記されています。
 文化大革命では、封建的文化、資本主義文化が批判の対象となったため、伝統的なものも排除されたようです。この時期に、清代以来の質の良い墨も品質を著しく落としたと考えられています。

少し古い「大好山水」

3.現代の曹素功

 文化大革命は1977年に終結宣言が出され、1980年代になると上海墨廠の職人たちが元の曹素功や胡開文のブランドで製品を作るようになりました。それらの個人墨廠は安徽省を中心に20ほどもあるということです。「鉄斎翁書画宝墨」や「大好山水」といった日本でも著名な唐墨も、それぞれの墨廠で作られていて、少しずつ製法や品質に差異があるようです。
 以下に2019年2月現在、中国で営業している曹素功系列の墨廠を紹介します。

・徽歙曹素功墨庄(曹素功藝粟斎)
 現在日本でも入手しやすい曹素功だと思います。私が普段愛用している鉄斎翁書画宝墨も藝粟斎製のものです。中国文房四宝協会が「中国5大名墨」に選出していて、現代中国墨では最も品質の高いものと言えるでしょう。

藝粟斎(左)と堯千(右)
それぞれの銘
・曹素功敏楠氏徽墨
 日本にも若干輸入されていると聞きますが、私は見たことがありません。宣城市文房四宝協会によると、1987年創業ということです。

・周虎臣曹素功筆墨荘
 上海墨廠と上海筆店が合併して出来た会社ということです。墨は、曹素功堯千・曹素功敦記などが中心ということです。1990年代くらいの曹素功堯千の墨はオークションサイトなどでよく目にすることができます。また、現在でも「微歙曹素功堯千氏」という銘が入れられ「上海墨廠出品」として販売されています。ちなみに90年代くらいの曹素功堯千が非常に高値で取引されていますが、それほどの価値があるか、私は個人的に疑問に思っています。