西川寧は「書道講座 楷書(二玄社)」の中で、「筆の性質からも、手の活動からも、左払いの筆は横画や縦画よりもいちばん自然な形であろう」と書いています。ぜんぜん納得できません。
 手の動きとしては、左から右に動かすほうが楽のような気がしませんか?しかも筆を動かす時、鋒を押して行く形となるのも決して自然ではないように思うのです。むしろ右に引っ張って行くほうが自然に鋒尻が先に進み、鋒先が後からついてくるので楽に線を引けます。


1.基本的な左払い

 最も基本的な左払いは、45度に鋭く入筆し、筆の軸を右にひねって鋒尻を行く方向に向けるようにして左斜め下45度の角度でまっすぐ進み、終筆部で丁寧に左に払ってゆきます。「木」という字の左払い、「身」の最後の左払い、「都」の偏の左払いなどです。
 この左払いを書く時、ポイントは送筆部分はほぼ直線になるということだと思います。もちろん、少しずつ左にカーブして行く書き方もできますし、そのように書いている字もよく見かけます。けれど、直線的送筆する方が力強くカッコいいと、私は感じます。
 この基本の左払いの他に、角度や長さの違う左払いがありますが、どの場合も送筆は直線的な方が力強いです。

2.力強さを生み出す要因

 冒頭で、左払いは決して自然ではないと私論を言いましたが、この自然でない動きこそ、力強さの要因ではないかと考えています。
 右手を右上から左下に動かす時、おおよそ肘を中心として前腕部分が左上から右下に向かって弧を描くように動くはずです。ですから、何も考えずに手を動かしたら右下を中心とする左回りの弧が描かれるはずです。それを、その孤とは反対方向に向かって払ってゆかなくてはならないのです。
 孤を描こうとするのに反して左に払う方向に筆を運ぼうとして筆を押し出して行く力が働きます。もちろん力といっても強力なものではなく、手を動かそうとする意志の問題です。孤を描く方向と筆を押し出そうとする力の拮抗によって、送筆部分は直線的となるのです。そして、終筆部では丁寧に左に払い出して左払いが完成します。
 以上は全くの私論ですが、私は左払いにはこのような力強さがあると思うのです。

3.左払いの難しさ

 左払いの書き方についての記述を読むと送筆に続いて後半は徐々に力を抜いて筆をまとめながら払うと書かれてるのを読んだことがありますが、これについても私は異論があります。前述のように、孤を描く腕の動きに反して左払いを運ぶのですから、終筆部では運筆の速度を緩めて、自然な動きとは反対方向に丁寧に払ってゆかなくてはいけません。ですから、終筆部に入るところで運筆が遅くなると同時に筆圧が少し多めにかかり、そこから筆圧を抜いて行くように払います。左払い全体としては、起筆部で鋭く入筆するために筆圧がかかり、送筆部では筆が動くに連れて筆圧は抜き気味になり、終筆の手前で筆圧が戻り、丁寧に払って行くのですからここでも「トン・スー・トン」に近い筆圧の変化が起こるだろうと考えます。
 このような繊細かつコントロールされた運筆が必要であるのに、左払いを書いているときは、その筆先は右手によって視界から隠されています。線を引いている時にはその書いているところを自分でしっかりと確認できないのです。これを無理に見ようとすると、左側から覗き込むような姿勢となり、体が傾き、首が傾き、字を書くための背筋の通った正しい姿勢が保てなくなります。姿勢を保つためには、筆先の感覚を研ぎ澄まして前述の運筆を行ってゆかなくてはいけないのです。

 ところで、左払いには直線できな送筆をしない、カーブした送筆もあります。「大」の左払い、「月」「風」のような左払いがそうです。こちらについては、いつかの機会にお話しできればと思っています。

では、左払いを書いているところの動画をご覧ください。