曹素功や胡開文などの唐墨について調べてゆくうちに、ひとつの文章に行き着きました。中国の古墨コレクターとして著名な葉恭綽(よう きょうしゃく:1881-1966)という人が1950年代くらいに書いた「墨談」という文章です。

 そこには、高いブランドを保っていた唐墨が、清末以降カーボンブラックを用いることによて品質が低下していったことが書かれています。


1.墨って中に何が入っているかわからない

 ぶっちゃけちゃいますが、使用する側はよほどの目利きでもない限り、墨に何が配合されているかなんてわかるはずがありません。
 唐墨には、原料の煤と膠の他に様々な香料や漢方薬、金箔や天然の顔料が入れられているのですが、同じブランドの同じ銘柄の墨でも製造年代によって配合が随分違うようなのです。

 清代より以前には、文人の中には漢方薬にも精通し、日本の香道のように香りからその成分を特定することができるほどの人もいたようです。
 そのような昔の文人でも現代の墨に、どの程度カーボンブラックが入っているかまでは嗅ぎ分けられないことでしょう。まして、我々凡人にはなおさらです。


2.唐墨にカーボンブラックが使われるようになった経緯

 「墨談」によると、1900年前後から中国の墨造りでカーボンブラックが使われるようになったとのことですが、そもそもカーボンブラックはいつ発明されたのでしょうか。

 カーボンブラック協会のウェブページによると、1872年にアメリカのハイドロガスカーボンブラック社が天然ガスを原料に煤の大量生産を始めたそうです。1910年にはこの工業用煤がゴムの補強剤として有効であることがわかり、ゴム製品に大量に使われています。
 また、黒色顔料として印刷物のインキや塗料にも使われています。

 于非闇(う ひあん)著「中国画顔料の研究」によると、清末期に帝国主義諸国の進出により中国の漆や桐油などの煙煤の原料が大量に国外に持ち出され、代わりにアメリカから入ってきた「気煙」(おそらくカーボンブラック)が、それにとって変わったと書かれています。そして1880年以降、徐々に製墨家がカーボンブラックを使うようになったとのこと。

 「墨談」には、墨作りに使われたカーボンブラックは初めはドイツと日本から輸入され、のちには日本が主流となったことが書かれています。ところが、日中戦争が始まると日本から輸入することもできなくなり、カーボンブラックの代わりに四川省で大量に取れる松煙を使用することになったことが書かれています。

 清代には様々な銘墨が作られた中国の伝統文化である墨作りは、帝国主義の侵略と戦争によって、壊滅的にされたことがわかります。


3.そもそもカーボンブラックは悪いのか

 徽州曹素功の管理人ブログに興味深い話が載っていました。中国の墨の工房に特注の墨の製造を委託しにいった時、「一番細かい煤で作ってください。」と依頼すると「つまり超高精細油煙のことですか…これは伝統的な油煙ではないのですよ。」と言われたそうです。つまりカーボンブラックは高温で燃焼した石油などから採られる煤なので、伝統的な油煙墨の原料よりも均一で細かな煤なのだというのです。

 だとしたら、安価に入手できて安定した黒色が得られるカーボンブラックは決して悪いものではないようにも思えてきます。

 中国で墨作りにカーボンブラックが大量に使われるようになって、品質が落ちたというのは、単にカーボンブラックが墨の品質を落としたということではなく、利益最優先になったために煤以外の原料である、膠や漢方薬、香料、金の含有量なども著しく悪化したということかも知れません。

 それでも、いろんなサイトを見てみても天然の純粋な油脂を燃焼させた煤を使用した墨の方が長い年月美しい墨色を保つと書かれています。また、カーボンブラックの入っている墨汁などは筆にとってもよくないと言われます。

 カーボンブラックが使われるようになってから、すでに100年以上たっていますが、書作品や水墨画の作品で、その色合いが変わってしまったという話は今のところ聞いたことがありません。もしかしたら、今後そのようなことも起こるのかも知れませんが。


4.文革前の墨がそんなに良いのか?

「百寿図」の顕微鏡写真
 昭和40年に出版された「墨の話(宮坂和雄著・木耳社)」では、様々な墨を科学的に検証した内容が書かれています。その中で、曹素功堯千氏造の「百寿図」を調査した結果が載せられています。昭和40年ですから、文革前の墨と言うことです。その結果、油煙墨であるはずの「百寿図」には、松煙が混ぜられていることがわかりました。「百寿図」は超漆貢煙(現在の油煙102)と言うランクとされる墨ですが、純粋な油煙から作られていませんでした。左の顕微鏡写真の右上・右下は、百寿図の墨汁の電子顕微鏡写真ですが、右上の粒子は大きく右下は細かな粒子が写っています。大きな方の粒子は松煙の粒子で、小さな粒子は油煙です。文革前の「百寿図」でさえ、純油煙と謳いながら松煙を混ぜていたことがわかります。(左上は粒子の分散状態、左下は墨の表面の顕微鏡写真です。)


 また、前述の徽州曹素功の管理人ブログに、文革期の墨でもカーボンブラックは使われていたことが書かれています。どんなに文革前の墨が良いとか、70年代の墨は今のものよりまだ品質が良かったなどと聞いても、それらにもカーボンブラックが使われているのです。

 オークションサイトなどで文革前とか、文革期などの墨を高額で購入するよりは、できるだけ品質がしっかりしているメーカーの新しい墨を購入する方がよほど良いように思います。


参考文献:
墨談 http://reijiyamashina.sakura.ne.jp/inkyee.htm
カーボンブラック協会 https://carbonblack.biz/safety02.html
中国顔料の研究 https://kanazawa-bidai.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=242&item_no=1&page_id=44&block_id=46
徽州曹素功「管理人ブログ」 http://diary.sousokou.jp/
「墨の話」宮坂和雄著・木耳社


日本でも人気の鉄斎翁書画宝墨は、文化大革命以前は頭に「五石漆煙」と入っていました。これが文革期に「油煙101」に変更されたことは、唐墨の知識のある方ならご存じだと思います。文化大革命は書画の世界に多大な影響を及ぼしました。墨も古くからある老舗が解体され、公営化されたのです。

清代4大製墨名家の一つ「胡開文」

清代の4大製墨名家のひとつ胡開文は、1765年に創業した老舗です。「パナマ万国博覧会」に胡開文の「地球墨」という墨が出品され金賞を受賞するなど、世界的にも著名な墨店です。