各年代ごとの「鐵齋翁書畫寶墨」の意匠の違い
今回の内容については、「徽州曹素功 藝粟斎」ウェブページの管理人ブログ「断箋残墨記(http://diary.sousokou.jp/)」それに、「書道する人・ちょーざんのブログ(http://chouzan.blog.fc2.com/blog-entry-24.html)」に負うところがとても大ですので、合わせてお読みななるとよいと思います。
それに加えて、私の所有している墨や書道用具店やオークション、フリマサイトなどで見聞きしたことなども併せて、私なりにまとめてみたものになります。
経験則からの推測もありますので、知識不足による誤りがありましたらお許しください。
1.上海墨廠ができる以前(おおむね文化大革命以前)
上海墨廠は、1970年代の初めに文化大革命の影響下で古くからある複数の墨廠が統合され誕生しました。中心となったのは、曹素功堯千氏と言われています。
曹素功堯千氏は1912年頃、文人画家の富岡鉄斎の依頼で「鐵齋翁書畫寶墨」を作り、販売していました。ですので、文化大革命以前には曹素功堯千氏の製造する「鐵齋翁書畫寶墨」しかなかったと思われます。
その頃の墨の正面・裏面・側面・上下の写真が以下になります。
正面に「鐵齋翁書畫寶墨」、裏面は花の模様と「国華第一」、側面には「徽歙曹素功尭千氏選煙」、反対側には「壬子年曹叔琴監製」、天には右から「五石漆煙」と書かれています。
オークションサイトなどで時々出品されるものを見ると、「壬子年曹叔琴監製」が書かれていないものがあります。
曹素功堯千氏は1967年に近代的な採煙方法を開発し、大量の煤を安定した品質で採取できるようになったそうです。「壬子年曹叔琴監製」の記載がなくなったのはその頃が境かもしれません。
2.上海墨廠初期(1970年代前半)
文化大革命が起こると、書道用品に限らず多くの私企業が統合・国営化されたそうです。また、「破四旧」という運動がおこり、旧思想・旧文化・旧風俗・旧習慣の四旧が排除されました。
曹素功堯千氏では、墨の製造過程や原料の違いから墨の等級が、「五石漆煙」「超貢漆煙」「超貢煙」「貢煙」「頂煙」の5種類に分類されていました。それが文化大革命の破四旧により、「五石漆煙」→「油煙101」、「超貢漆煙」と「超貢煙」→「油煙102」、「貢煙」→「油煙103」、「頂煙」→「油煙104」と変更されました。
その頃の墨の正面・裏面・側面・上下の写真が以下になります。
正面の「鐵齋翁書畫寶墨」は変わりませんが、裏面から「国華第一」の文字が消えています。よく「国華第一のないものが古くて良いものだ」と言われているのはこのためです。側面は楷書体で「上海墨厂出品」となり「廠」の字も簡体字になっています。天は左から「油煙一〇一」と書かれています。
3.上海墨廠後期(1970年代後半~80年代初頭)
わずか10年なのに、文化大革命期の「鐵齋翁書畫寶墨」は大きく前期と後期に分かれるようです。何年頃から分かれるかははっきりしませんが70年代の前半と後半ではすでに違っているようです。
上海墨廠後期頃の墨の正面・裏面・側面・上下の写真が以下になります。
正面の「鐵齋翁書畫寶墨」は変わりません。裏面の「国華第一」がないのも同じです。側面は行書っぽい「上海墨廠出品」となり「廠」の字が簡体字ではなくなっています。また、「油煙一〇一」の文字もなんとなくゆるっと締まりのない感じになっている気がします。同じ「国華第一」がないものでも製造時期が異なりますので、注意が必要です。
さらに、70年代の終わりから80年代初頭にかけて「油煙一〇一」が「油烟一〇一」になっているものがあります。おそらく「油烟一〇一」のほうが新しいものではないかと考えます。
4.1980年代
文化大革命は1977年に終結宣言が出され、その後改革開放路線がとられることになります。経済の開放とともに、民営企業の設立が可能となり、各墨廠たちもそれぞれの旧ブランドを立ち上げてゆきました。このころの「鐵齋翁書畫寶墨」も上海墨廠出品ですが、かつての曹素功堯千氏ブランドを復活させています。
その頃の墨の正面・裏面・側面・上下の写真が以下になります。
正面は「鐵齋翁書畫寶墨」。裏面に「国華第一」が復活しています。側面には「曹素功堯千氏」。天には「油煙一〇一」。
80年代初頭の「鐵齋翁書畫寶墨」で、おそらくごくわずかの間「五石漆煙」の文字が復活したものがあります。私はその実物を持っていないので、オークションサイトなどで確認した限りですが、以下の通りです。
・正面「鐵齋翁書畫寶墨」
・裏面「国華第一」がないものとあるものどちらも存在
・天の「五石漆煙」が右から書かれているものと左から書かれているものが存在
・側面は「徽歙曹素功堯千氏造」
「五石漆煙」があるものは文革前のものだと単純に考えると間違える可能性がありますので、注意が必要です。
5.1990年代
90年代ころから、墨の底部に「曹素功®」という文字が刻まれるようになりました。私はその実物を持っていないので、同じころに作られた「大好山水」の底部の写真を載せておきます。
また、同じころの製品と思われるもので、側面に「徽歙曹素功精製」と書かれ、底部に「藝粟齋®」と刻まれたものもあります。これについては、実物も見たことがないので、よくわかりません。
6.「鐵齋翁書畫寶墨」に偽物??
前述の「曹素功堯千氏」ブランドが復活したころから、同ブランドの「鐵齋翁書畫寶墨」に下の写真のような注意書きが入れられるようになりました。
「鐵齋翁書畫墨」という「寶」の字が抜けた偽物が出回っているというものです。その偽物は胡開文製のものですが、胡開文系列の墨廠もかつて上海墨廠で同じ製品を作っていたでしょうから、「鐵齋翁書畫寶墨」が売れる製品だということを知っていて、作ったのでしょう。
80年代中ごろ以降には次のような注意書きが入っています。
どちらの注意書きにも1982年に表彰された話が記載されていますので、この注意書きが入っているものは少なくとも1982年以降に作られたものです。
7.側面の製造番号
1970年代後半くらいの製品から、側面に白色のスタンプが押されるようになりました。おそらくそれは製造番号で、頭の2桁が製造年をあらわしているようです。
いかにいくつかの例をあげておきます。
ただし、スタンプは消えやすいですし、あとから偽造で押すことも可能なのであまりあてにはなりません。
8.箱とステッカーの違い
化粧箱も年代によって様々です。同様に箱に張られたステッカーにも年代による違いがあるようです。
左から古いと思われる順に並べてありますが、必ずしも正確かどうかわから無いところです。文革前期以前は合わせ箱ではなく、開く形。その後合わせ箱になりますが、箱の色味とラベルの書体が違います。
もちろん箱も入れ替えてしまうことが可能なので、あてにはなりません。
9.年代早わかり表
以上を踏まえて、「鐵齋翁書畫寶墨」の年代のおおよその判断のつけ方を表にしてみました。誤りもあると思いますので、あくまで参考程度にご覧ください。
年代 | 側款 | 国華第一 | 等級表示 | 箱・その他 |
---|---|---|---|---|
1960年代以前 | 徽歙曹素功尭千氏選煙 壬子年曹叔琴監製 | あり | 右から 「煙漆石五」 | 開く形の箱 |
1970年代前半 | 上海墨厂出品 | なし | 油煙一〇一 | 合わせ箱 ラベル篆書 |
1970年代後半 | 上海墨廠出品 | なし | 油煙一〇一 | 合わせ箱 ラベル篆書 |
1970年代終盤~80年代初頭 | 上海墨廠出品 | なし | 油烟一〇一 | 合わせ箱 ラベル不明 |
1980年代初期 | 徽歙曹素功堯千氏造 | なし or あり | 「煙漆石五」 「五石漆煙」 | 合わせ箱 ラベル不明 |
1980年代 | 曹素功堯千氏 | あり | 油煙一〇一 | 合わせ箱 ラベル隷書 or 草書 |
1990年代以降 | 曹素功堯千氏 | あり | 油煙一〇一 | 合わせ箱 ラベル草書で小型 |
最後に、60年代以前・上海墨廠前半・同後半・80年代それぞれの裏面を並べてみます。左から古い順です。
細かく見比べると、「国華第一」の文字は古いものの方が繊細に見えます。また、花の図柄も枝の折れ曲がり方や色付けに微妙な差があり、「国華第一なし」のふたつは、同じ木型から造られたように思えます。
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