三雲・井原遺跡で見つかった硯板
 2016年3月に福岡県糸島市ので、弥生時代後期(1~2世紀ごろ)の硯が三雲・井原遺跡見つかりました。

 この遺跡は中国の史書「魏志倭人伝」に登場する「伊都国」の都とされ、邪馬台国時代の倭国が文字を用いて外交した裏づけとなりました。20世紀の終わりから、古代日本の文字にまつわる様々な発見が相次ぎ、従来考えられていたより古くから日本で漢字が使われていたことがわかってきました。


1.中国語の発音にも時代による違いがある

 漢字が日本に伝わると、外交のために中国語(漢文)で文章を読み書きできる渡来人が日本での漢字普及に尽力したと考えられていますが、日本固有の人名や地名を中国向けの文章で表現するために、中国式の漢字の読みを日本語の音に当てると言う使い方をしました。
 例えば、「ヒミコ」を「卑弥呼」、「イトのくに」を「伊都国」といった具合です。

 けれど実は中国式の発音でも、時代によって違いがあります。それらを「呉音」「漢音」「唐音」と呼んで区別します。例えば「行」と言う字は「行書」は「ギョウショ」、「銀行」は「ギンコウ」、「行脚」は「アンギャ」とそれぞれ発音します。「ギョウ」は呉音、「コウ」は漢音、「アン」は唐音なのです。


2.漢字を使った日本語の表現

 1968年に埼玉県行田市の稲荷山古墳から鉄製の剣が発見され、腐食の進む鉄剣の保護処理のためX線検査が行われました。
 するとそこには115文字の漢字が金象嵌で表されていたのです。冒頭には「辛亥年」と言う干支があり、471年に作られたことがわかります。続いて、ある氏族の8代に渡る系譜が記され、「獲加多支鹵大王(ワカタケル大王=雄略天皇)」と言う大王の名も記されていました。

 このように、5世紀には漢字の音で日本語の一音を表記する方法が、地方にまで浸透していたようです。けれど、外国の音を日本語に当てるのは、なかなか大変なことだったらしく、和銅5年(712年)に編纂された「古事記」の序文で、編纂者の太安万侶が嘆いています。


3.借字からかなが生まれた

 このように漢字の音を借りて日本語を表記する方法を「借字(しゃくじ)」と言います。借字を使用する一方で、公式文書や外交文書では漢文が使われていて、それを読み下すために「漢文訓読」が生まれました。
 古事記では、訓読みにする漢字と借字の漢字が混ざっているため、わかりにくくなってしまうと安万侶は言っています。

 訓も音もどちらも楷書で書かれました。楷書による借字は、「万葉集」が編纂される頃にはさらに成熟します。ですから、この借字による表記法は「万葉仮名」と呼ばれます。また、その後に作られる「仮名」に対して「真名(まな)」とも呼ばれます。