柴胡加竜骨牡蛎湯
 私事ですが、医者から「柴胡加竜骨牡蛎湯」と言う漢方薬を処方されています。「サイコ」「ハンゲ」「ケイヒ」「ボレイ」などの生薬に「リュウコツ」と言う生薬も入っているお薬です。で、その「リュウコツ」が、漢字誕生の歴史発見につながったのです。

1.甲骨文の発見

 1899年、王懿栄(おういえい)という人物が「竜骨」という漢方薬を購入しました。その竜骨には模様のようなものが刻まれていて、劉鶚(りゅうがく)という人と共にこれが文字ではないかと考えました。

 そして竜骨を広く買い集めて研究し、殷王朝時代の文字だと判明したのです。竜骨は、実は亀の甲羅や牛の骨で、そこに文字が刻まれていたので、その文字は甲骨文字(こうこつもじ)と呼ばれるようになりました。漢字の原初の形であり、現在確認されている最古の漢字です。

甲骨文
 その後中国は、義和団事件、辛亥革命と混乱が続き、劉が所有していた甲骨は羅振玉(らしんぎょく)という人の手にわたり、研究を続けた羅は、竜骨が安陽小屯の出土であることを突き止め、そこが殷王朝の遺跡ではないか推定しました。

 安陽(殷墟)の発掘は1928年に始まり、日中戦争により一時中断しますが、中華人民共和国が成立した翌年の1950年に再開されました。それまで伝説だった殷王朝が実在のものだと判明すると共に、大量の甲骨が発掘されました。漢字の誕生が解明され始めたのは、これほど近年のことです。


2.甲骨には占いの内容が刻まれた

 これまでに発見された甲骨は約13万枚、甲骨文字は約4000字、そのうち識別された文字は2000字あまりだそうです。殷墟で発見された甲骨に刻まれた甲骨文に記録されていたのは、ほとんどが占いの内容でした。

 亀の甲羅や牛の肩甲骨に小さな穴を開けて、そこに熱した青銅の棒を差し込むと表側に卜の字形のひび割れができます。事前に占う内容を刻んでおいて割れ目の形で占い、その占った結果も甲骨に刻みつけました。

 この占いによって、殷の王は政治を行なっていたのです。甲骨文字は、王と神とをつなぐ神聖な存在で、王の権威を高めるのに大いに役に立ったことでしょう。

甲骨文の拓本

3.甲骨文にはすでに六書が見られる

 漢字は言うまでもなく「表意文字」ですので、その原型は象形文字です。それを基にして、より複雑な意味や言葉を記すために部首を組み合わせたり、読み方を借用したりして、何千もの漢字となりました。その造字法を「象形、会意、形声、指事、転注、仮借」という6つの分類で整理する方法を「六書(りくしょ)」と言います。

 甲骨文字には、すでにこの六書の全てが見られると言うことです。造形を抽象化して作られた甲骨文字の構造は、ほとんどそのまま現代の私たちが使っている漢字に受け継がれています。

 漢字は、形を変えながらも数千年受け継がれ、音を表すための単なる符号ではなく、造形性・芸術性を内包してた文字として発展してきたのです。

青銅器は、殷代後期には作られていましたが文章はほとんど鋳込まれていませんでした。ところが周の時代になると青銅器には、臣従を誓った地方部族に対する安堵状のような内容や、王への感謝の内容などが刻まれています。