日本自由書道連盟「筆塚」

 日本自由書道連盟の筆供養が9年ぶりに行われました。え!9年ぶり!!前回の筆供養は2013年のことでした。
 それまでは夏の全国研修会を富士吉田市で行なっていました。自由書道の筆塚も富士吉田市にあって、研修会の2日目朝に毎年筆供養をおこなっていたのです。ところが、2014年より会員さんの集まりやすさも考慮して、全国研修会を東京で行うようになってから、筆塚での筆供養が行われていませんでした。

1.筆塚は「筆子」が建てた記念碑??

 13年ぶりの筆供養にあたり、筆塚の由来を調べようとググってみると「筆塚は筆子塚とも呼ばれ、江戸時代に寺子屋で読み書きそろばんを教わった教え子(筆子)が、その師匠が亡くなった時に供養のために建てた墓のこと。筆を使う場所なので、使い古した筆を供養して埋めることもある。」というような記述を見つけました。
 とすると、筆塚はもともと寺子屋の先生を偲んで建てた記念碑だったのか!?

 例えば、稲城市・矢野口の妙覚寺(みょうかくじ)境内に、嘉永7年(1854年)建立の筆塚があり、碑の表面には指導者・角田(かくた)すず女の辞世の歌が刻まれ、台石の表、左右側面には49名の筆子代表者の名前が刻まれているそうです。このような例は、筆子の建てた塚ということになりそうです。


2.筆供養のためだけの筆塚もある

 愛知県名古屋市にある有松天満社のホームページには、敷地内にある筆塚の紹介が載せられています。天満宮は学問の神様菅原道真を祀っています。菅原道真は学問だけでなく書の達人でもあったので、全国の天満宮には筆塚があって古い筆を収めると学問や書道が上達するのだそうです。
 この場合の筆塚は菅原道真自身を祀っているわけではなく、菅原道真に由来して古い筆を収める目的で建てられたものということになります。

3.では、筆塚の始まりは?

 白川静による漢和辞典「字通」で【筆塚】(ひつちよう)「筆塚(ふでつか)。〔唐国史補、中〕長沙の懷素、書を好む。自ら言ふ、三昧を得たりと。筆堆積し、山下に埋め、號して筆塚と曰ふ。」とあります。
 また、「世界大百科事典」の「筆塚」の項目には「隋の僧智永は多くの千字文を書いたことで知られ、ちびた筆を瘞(うず)めて〈退筆塚〉を作ったという。これが筆塚の始まりである。」とあります。
 とすると、筆塚は中国で隋朝以前からあったものということになります。

 中国でも日本でも、お世話になった筆をただ捨てるのではなく、感謝を込めて供養してきたのですね。