雄勝硯
  2011年3月、東日本大震災は東北地方を中心に甚大な被害をもたらしました。そして、日本有数の硯の産地「雄勝」も津波による未曾有の被害を受けました。

 「雄勝硯生産販売協同組合」のWebページによると、全国からのべ6,500人ものボランティアの方たちが、流出した原材料や硯、石工芸品などの回収作業を行ったそうです。

 震災直後は、「もう雄勝硯は生産できないのではないか」というようなまことしやかな噂も聞いたのですが、震災の翌年には採石が再開され、生産が再開されていったようです。



1.600年の歴史を誇る雄勝硯

御留石
 応永31年(1396年)に記録された古文書「建網瀬祭初穂料帳」のなかに「ヲカチノスズリハマ」(現在の採掘山「硯浜」)の記述が見られ、すでにこの頃から雄勝硯は生産されていたと考えられています。

 その後、江戸初期の元和年間(1615年〜23年)に藩主、伊達政宗が牝鹿半島へ鹿狩りに出かけた際、硯二面を献上したところ雄勝硯を認め、二代伊達忠宗、四代伊達吉村もともに硯を称賛し、雄勝硯は伊達家献上硯となりました。硯材を産出する山は「お止め山」と呼ばれ、一般の採掘を許しませんでした。


2.日本の硯生産量の9割を占める雄勝硯

 今の小学生の書道道具箱には、樹脂製の硯が入っているようですが、私が子供の頃には石の硯材でできた硯が入っていました。その頃の小学生が使っていた硯の90%が雄勝硯だったそうです。

 その硯材となる雄勝石は、石巻市雄勝地区(かつての雄勝町)一帯に豊富に埋蔵されていて、推定埋蔵量500万トンとも言われています。想像もつかないほどの量ですが、とてつもなく多いということでしょう。

 もちろん全てが硯にできるのではなく、採石された中から熟練した石工が硯に適した部分を見極めて使用します。それ以外のところは、上質なスレートとして瓦、皿、アクセサリーなどとして加工されています。2019年にリニューアルした東京駅にも、その屋根に雄勝石スレートが使われています。

 日本各地に有名な硯産地がありますが、多くの産地で硯材の枯渇問題が深刻です。山梨県の雨畑硯などは昭和の一時期ごろ雄勝から硯材を取り寄せて雨畑硯として販売していた時期もあるということです。おそらく、小学生用の書道セットに必要な硯を大量生産しなくてはならず、雨畑の硯材では間に合わないため雄勝から大量に硯材を仕入れていたということかもしれません。

 そのため、雨畑硯は硯材が枯渇して製造されなくなったという噂まで立ちましたが、雨畑の硯材採掘は現在も続いています。ただ、それもいつまでも採れ続けるものではなさそうです。


3.雄勝硯の石質

 一時期、雨畑硯の材として使われたこともあるだけに、雨畑と雄勝の石質は似ているように思います。雄勝石は別名「玄昌石(げんしょうせき)」とも呼ばれ、黒色硬質粘板岩という種類の岩石です。特徴としては、光沢があり、粒子が均一で曲げや圧縮にも強く、給水率が低いため、長い年月が経っても変質しないということです。また、鋒鋩の細かさ硬さがバランスよく緻密で、硯に最適な石材ということです。

雄勝硯の鋒鋩

 地質学的には北上山系登米層古生代二畳紀に属する、とのことで2〜3億年前の地層にあたるそうです。ちなみに雨畑真石の地質学的な分類ははっきりわからなかったのですが、どうやら新世代に属する粘板岩のようです。

 雄勝石はいくつかの坑があるそうですが、黒色粘板岩が露出していて露天掘りで採掘できるそうです。「明神山坑」と呼ばれる坑がかつてシェア90%を誇った最大の鉱脈だそうで、現在は採掘を再開しているということです。古文書にも登場した「硯浜旧坑」は住宅地と雄勝湾がすぐそこにあるところだそうですが、こちらは現在は採掘されていません。

 その他、伊達家によってお止め山とされた「御留山旧坑」は、雄勝石の中でも最良の石材が取れるところとされ、現在でもここからとられた硯材で作られた雄勝硯は「御留石」と呼ばれています。


 雄勝硯は1985年に「伝統的工芸品」の指定を受けています。硯としては雄勝硯と赤間硯だけが伝統的工芸品の指定を受けています。