秋萩帖(草仮名)

 「古事記」を編纂した太安万侶(おおのやすまろ)は、その序文で「上古の日本語の文章詞句を漢字で表記することは甚だむずかしい。」と嘆いています。

 安万侶は漢字と借字だけで日本最古の歴史書を書き上げたのですから、大変な苦労だったと推察できます。


1.草仮名の成立

 万葉(奈良時代)のころ使われていた借字は楷書で書かれていましたが、都が平安京に遷都されるころから借字を草書で書くようになりました。8世紀末から9世紀にかけての文書に草書化した借字が使われています。このように省略が進んだ草書の借字を「草仮名(そうがな)」と言います。


2.仮名


土佐日記(仮名)

 やがて草仮名は草書体から独立し、仮名として成立します。初めて公的な文書に仮名が使われたのは「古今和歌集(905年)」で、さらに紀貫之は女性のフリをして「土佐日記(935年)」を仮名で書いています。


3.女手と男手

 仮名は、和歌など女流文学で使われるという認識があり、女手(めて・おんなで)と呼ばれました。対して漢字のことは男手(おとこで)と言いました。その後、遣唐使の廃止されて中国との国交がなくなると、仮名は日本固有の文字としての地位を確立してゆきました。